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天下一舞踏会 ~ギリギリなおっさん達の社交場~

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かわいそうな「おっさん」「お局」であることを受け入れた、私とあなたたちのために。

下の池沼の譲歩 

下の池沼がついに本性を現した!?w(゜o゜)w
帰宅するなり、爆音スピーカーでの大音響を披露することはすでにお伝えしているが、今まではやらない日の方が多かったのが、先週に入ってからは毎日やるようになった。
池沼の聞く曲は基本的に決まっていて、私でも理解できるのはJAZZくらいのもの。ただJAZZはベース音がきつく、ベース音しか聞こえないのがより気持ち悪さを助長する。
「TAKE FIVE」のベース音って、こんなにメロディーからかけ離れてるのかと感心した(゜Д゜)

歌手部門のレパートリーにいたっては、チョイスが尋常じゃない。
まずはZARD。池沼が"大放出"するまで気にも留めなかったが、調べてみると昨年末に結成25周年ということを大々的に宣伝している。池沼はこれに踊らされたのだろうか。
今になって「負けないで」を無限リピートするマイノリティの一人が池沼なのだ。
あとは木村カエラ、カーペンターズ。どうも女性ボーカルが好きなようだ。
その中で異色なのはディープパープル(以下、DP)。なのだが、DPにいたっては「ハイウェイ・スター」のみのリピート。次の「スモーク・オン・ザ・ウォーター」まで流れてしまったときがあったのだが、気付いた池沼はあわててハイウェイ・スターに戻したりしていた(^_^;)


さらに音楽をやらないときには、テレビである。
テレビの音量が過大なのもさることながら、テレビが壁に密着して、さらに音源が天井に近いのがわかる。ひょっとしたら、32インチの大画面を窓際にぶら下げてるのではないか。池沼は四六時中カーテンを閉め切っていることから、その可能性も否めない。
私の家から池沼が何チャンネルを見ているか見当が付き、家のドアを開けると、階段中にしゃべるテレビ音声が一文字一文字明確に聞き取れる。
この三連休はお互いにほとんど在宅していた。土曜はスピーカー、日曜、月曜はテレビだった。

スピーカーとテレビの"二本柱"でもうおなかいっぱいのはず。
さらに一番恐ろしいのが、なんと池沼は「夜は眠らない」ようなのだ。眠らなくても平気という印象である。
先述した日、月にいたっては、池沼が在宅していたほぼ20時間、池沼のテレビ音が止むことがなかったm9(^Д^)こんなノイズの中でも眠れる私であるが、どうしても夜中に起こされる。やはりまだテレビをつけているのか、と。
つけっぱなしで寝落ちしたと考えるのが自然かもしれないが、夜中の3時、4時にチャンネルを変えているのがわかる。このことから、夜中の内容がほとんどない番組しかやってないにも関わらず、池沼は真剣にテレビと向き合っていることが読み取れるのだ。
テレビをつけっぱなしのときは、どの時間帯に起きても必ずついている。もちろん、私の起床時間になっても。



こんな"モンスター"が階下に住んでいる。いや、むしろこれは自然なことかもしれない。
小島ビル」という高度経済成長の遺産に、好き好んで住んでいるのだから。
住居作りではなく、エレベーターもなく、北向きの物干しスペースもない事務所ベースの空間。上下の防音なんて考慮されているはずもない。


それでも私は、池沼のある変化に気付いた。
当初聞かされていたスピーカー爆音だが、先週からはちょっとボリュームを下げたのだ(´・ω・`)
池沼が帰宅後に音を出し始めると、初めは爆音なのだが、そこから音量を下げるのだ(゜∀゜)
池沼のさじ加減で音量を下げたところで、私にとってうるさいというのには変わりないのだが(^^ゞ
それでも池沼は、周囲の環境に配慮して「譲歩」を覚えたのだ。
この池沼の譲歩に、私は池沼が悪いやつではないのだなと、安心した。いや、その前から悪意を感じ取れなかった。さらに譲歩までできる人間性に、愛情に似た好意すら覚えた。
見ず知らずの他人に対して自分の感情を抑えて譲歩し、その気持ちを受け取れる私がいる。こんな素敵な関係、感情は、私の人生にはなかったと思う。

今まで自分の正義にそぐわない行為は、徹底的に嫌悪し、あるいは抵抗の意思表示をしてきた。
これを書いている今日も、何度も抵抗の心に覆われた。でも抵抗したところで、関係は悪化するだけである。
本気で池沼を抑制しようとするならば、小島ビルを出ていく覚悟が必要だと思う。隣人トラブルとはそういうものである。
でも私は、小島ビルが好きなのだ。
今まで住んできたどの住居よりも好きだ。引っ越したくはない。
それならば、多少の文化の相違は受け入れなければならない。おそらく今後生きていく上でも、同様の問題は起こり得るだろう。


この池沼のキチガイ行為を受け入れることにより、私は小島ビルを

  最後にして最高の人間修養の場

と確信することができた!


・・・この「隣人騒音」の事象については、どこに引っ越そうとも付きまとう問題である。おそらく、私以上にひどい騒音問題を抱えている方の方が多いはず。
後世のために、このような考えがあることを残しておきたい。


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お礼 

「いやあ今日のプレゼンの資料、きみが用意しておいてくれたんだね。ありがとう!助かったよ。」
午前中、突如私の下に現れた上司の倉本にそう言われたのだが、私にはそんなプレゼンの資料を作成した覚えなど全くなかった。
「みんな大絶賛だったよ。まさか鮫谷くんがここまで力を持ってるとは、正直思わなかったよ。これからも、よろしく頼むな!」
私が倉本と会話(一方的にまくしたてられただけだが)したのは、一体何か月ぶりだろうか。だが、倉本にこれだけの声をかけられたのが初めてなのは間違いない。
所詮"社内ニート"として干されていた私である。倉本なんて、こちらから挨拶しても無視されるくらいの存在だった。だからいつしか倉本とすれ違っても、軽く会釈をするくらいになった。もちろん倉本は無視を決め込んでいた。
倉本から"絶賛"されてからは、私が倉本の存在に気付かなくても、倉本が私を見かけたならば彼から私の方に駆け寄ってくるくようになった。

後日、倉本の上司である佐々木部長の下、部署内の全員が集められた。
「ええ皆さん。すでにご存知かもしれませんが、このたびわが社の社運をかけたバンビプロジェクトを請け負うことになりました!倉本君の話によれば、これは鮫谷くんが作成したプレゼン資料のおかげだそうです。倉本君に盛大な拍手をお願いします!」
拍手喝さいを受ける中、私は戸惑うしかなかった。
なぜなら、そんなプレゼン資料を作成した覚えはないからだ。
作成者は一体誰なのか、そして倉本に資料を作成したのが私だと報告したのは誰なのか。作成者と報告者は同一人物と考えるのが自然だが、そんなことをしてそいつに一体何のメリットがあるのだろうか。
何より気になるのは、その功労を社内ニートである私に押し付けたことだ。


その日を境に、おかしなことが起こり始めた。
電話が鳴った。知らない電話番号からの着信だったが、月に1回鳴るかどうかくらい珍しいことなので、出てみた。ひょっとしたら、先日の"プロジェクト"の件で、私の知らないところで新しい人間関係ができたのかもしれない。
「鮫ちゃん、出産祝い届いたよ!」
私の思惑とは全く違い、高校時代の同級生だった向井からだった。
同級生と言っても、私に友だちと呼べるものなどいなかった。当然、向井とも会話した記憶はない。向井は私とは正反対に、誰とでも打ち解けられるクラスの人気者だった。そんな向井だから、ひょっとしたら一度くらいは向井に話しかけられたことがあるのかもしれない。
向井とはそんな間柄でしかない。高校を卒業して以来会ってもいないし、向井の連絡先すら知らない。同窓会にすら行かない私である。さらに出産祝いということは、向井の住所宛てに何かを送ったということである。確かに実家の住所は卒業アルバムに書いているのかもしれないが、「出産祝い」ということは、実家を出てどこか別の住居にいると考える方が自然だろう。そんな向井の今の住所なんて知りようがないのだ。何よりこの電話で、向井が結婚していて、子どもが産まれたということを初めて知ったのだ。
「鮫ちゃんもなんかあったら、連絡してよね。必ずお返しするからさ!」
電話を聞いていて、私はいたたまれなくなった。
何でも、お祝いと一緒に私が書いたという手紙が添えてあったらしい。向井から手紙の話を聞いていると、学食で昼食を一人で食べている私を偶然向井が見つけて一緒に食べたことを、私がずっと気に留めていたと。そして、向井の結婚と出産の話を聞いたから我がことのように喜んで送らせてもらった、と。
私には向井と昼食と食べた記憶はないが、たとえあったとしても、そんな些細なことなど覚えていられるものではない。
釈然としないが、向井も喜んでいることだから、私が送ったということで話を合わせるしかなかった。


会社のメールを確認すると、今度は後輩の吉見からメールが届いていた。書き出しはこうだった。
「鮫谷さん、昨日はありがとうございました。」
吉見は女優のようなきれいな女性で、性格もよく社内での人気も高い。願わくは、吉見のような女性と付き合ってみたい。
彼女の話を聞くと、昨日の吉見の退社時に私が偶然居合わせたらしく、彼女を誘って食事をご馳走した、と。
しかも言った店は、彼女がかねてから行きたがっていたフランス料理店だったという。"私"が言うには、先週食べてみておいしかった店だから、今度は誰か一緒に連れて行こうと思っていたところで、吉見に声をかけたそうだ。
もし私が退社時に吉見を見かけたとしても、会釈すらできるかどうか怪しい。
「またおいしいお店を見つけたら、教えてくださいね。 美智子」
なんだ、ずいぶんと私の印象がいいじゃないか。昨日、その"私"とは、何があったのだろう。本当に食事をしただけなのだろうか。
末尾が名字の「吉見」ではなく、名前の「美智子」でしめられているのには、深い意味があるのだろうか。
こんな些細なことにも敏感なのは、私が女性となんらかのやり取りをすることすら経験がないからである。
だがひとつ問題なのは、昨夜吉見と食事をしたのは私ではなく、別の"私"だということだ。


帰宅してテレビをつけると、電車の人身事故のニュースを伝えていた。
電車がホームから見えるくらいの距離まできているとき、幼女が線路に転落した。その幼女を救おうと一人のサラリーマン風の男が命を顧みず、線路に降りてその幼女をホーム上に助け出した。
しかし幼女を助けた男の方は、避難が間に合わずに電車に轢かれてしまったという。
幼女の母親らしき女性が、涙ながらにインタビューに答えていた。
「本当に、その方にはなんとお礼を言っていいか・・・」
私はこの手の話は嫌いである。下手をすれば二人とも死んでしまうじゃあないかと考える。いわゆる二次災害というものだ。
今回は偶然にも幼女の方は助かったが、同じ命なら確実に守れたはずの自分の命を大事にするべきだろう。
すっかり機嫌を悪くした私は、テレビを消した。

翌朝テレビをつけると、ニュースではやはり昨日の人身事故の話が取り上げられている。
「死亡したのは、会社員の鮫谷太造さん…」
私は初めて、自分と同姓同名の者に巡り合った。かなり残念な形ではあるが。
さらに皮肉なのは、名前とは裏腹に考え方が正反対だったことである。
どうせ他のチャンネルもこの事故のことをやっているだろうと、諦め半分でチャンネルと変えた。
案の定、他局でも同じ事故の話だった。またも死亡したという"私"の名前が出ている。今度は顔写真付きである。
その顔写真は、私の社員証にプリントされているものと一緒だった。
私は社員証を提げるストラップを鞄から取り出した。するとカードケースには社員証の代わりに名刺のような白いカードがささっていた。そこにはこう書かれていた。

「ありがとう。」


・・・
(作者後記)2週間かけてこのクウォリティm9(^Д^)


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ショーンKの頽廃 

最近、巷で話題のショーン・マクアードル川上氏。
われらJ-WAVEリスナーなら、愛称「ショーンK」の呼び名の方が馴染みがあるはず。
彼を昨年くらいに報道ステーションで見たときは感動した(゜Д゜)
「ついにテレビにも出るようになったのか」と。


J-WAVEの看板DJと言えば、クリス・ペプラーを筆頭に、別所哲也、ジョン・カビラ、ピストン西沢。
「渡辺祐(たすく)は?」(タモリ倶楽部でお馴染みの)とかいうクレームは、画像出すからおさめてくださいよ、ね!?

渡辺祐

ショーンKは彼らに並ぶJ-WAVEの顔だったはず。
彼の周辺記事を読むと、4月から帯番組のMCとかいう話があったらしいじゃないですか!?w(゜o゜)w
いやいやいや。
ラジオDJたるもの、テレビは自粛しないと。しかも帯のMCだなんて。

今回の件で、ショーンKがJ-WAVEからも消えてしまうだろうことは目に見えている。
アンドレア・ポンピリオが、J-WAVEから国営放送に"移籍"して、ラジオにほとんど出てこなくなったのとはわけが違う。
また、ふかわりょう(ROKETMAN)が土曜25時からやっていた超絶人気深夜番組「ROKETMAN SHOW」(通称ロケショー)は、3,4年前にふかわ氏が番組内で、AVEXの金看板・A室N美恵氏のPVにケチをつけて、その発言の半年後の3月に番組がとんでしまうという「力の原理」が働いたわけでもない。ちなみに、そのほとぼりが若干冷めたらしく、ふかわ氏は昨年4月から土曜深夜3時(ほとんどみんな寝てるっちゅーねん)に番組を持つことができた。
前述の2者とは違い、ショーンKはメッキがはがれてしまった結果である。
ヘッドハンティングでもなければ、自分の意見を通してつぶされたわけでもない。

なんというか、
ここまでのラジオ人気DJのスキャンダル発覚は、Y田T美以来ではないか?!(私の価値観で)

Y田T美

ショーンKの看板番組であるJ-WAVE「MAKE IT 21」の全盛は、何と言っても2014年。
もともとは土曜21時からの1時間番組だったのだが、この年4月からは開始時間は変わらず、なんと3時間のぶち抜き枠に!w(゜o゜)w
小曽根真の人気ジャズ番組と、杏の本フェチ番組をワンコーナーとして取り込んでしまった。
つまり、ショーンKをJ-WAVEが全社を挙げて押し上げたのだ!
しかし昨年になって、元の1時間枠に戻ってしまった。何があったのだろうか。

「MAKE IT 21」と同じ土曜21時からのテレ東「出没!アド街ック天国」の視聴に目覚めてからは、ラジオは全く聞かなくなってしまったorz


・・・この記事を思い立って早速、「MAKE IT 21」のホームページをのぞいてみた。
あ、16日付で3月分の放送中止と、事実上の番組終了を暗示させるメッセージが(^_^;)

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20160313国営放送の手落ち 

今日から春場所なんて、テレビつけてみて初めて知った(゜Д゜)
国営放送で、今日から初日なんて言ってたか?(´・ω・`)

7日の週のスポーツニュースでは、例の野球賭博がメインで、次がなでしこ。次いでプロ野球のオープン戦とJリーグ開幕。そして、なんといっても日本の関心事としての3.11から5年目という節目。
さらに殺人事件とか原発停止とか、ニュースソースは山ほどあった。
たしかにメディアにとっては大わらわの3月ではあるが、国営放送くらい場所前の力士を取り上げてもよかったのではないか。
国営放送のモットーである「中立・公平」とか言いながら、他のメディアに流されている証左だろう。

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社内のしつこい誘いへの正しい対処 

「今日の飲み会。こいつ誘いたくないけど、後でばれたら気まずいなあ・・・」
こういうことってありますよね?!特に身近な上司なんかが、対照のときとか。
それは、「今回」を大事にしすぎるからなんです。
どういうことかって?
「今回」が本番だとしたら、練習試合みたいな機会をできるだけ多く作るわけですよ。
家族や恋人がいる人には難しいかもしれないけど、身近な煙たい奴が嫌がるくらい、練習試合の誘いをしてやるわけ。
さあ、部署で一番嫌われ者の○○さんをターゲットに、レッスンしていきましょう!



部署内で一番の古株の○○さん。誰かの飲み会の話を聞くと、すぐに飛び込んでくる。
プライベートな飲み会だと、○○さんが聞きつけただけでオジャンにするしかないという。
そこで役に立ったのは、社内随一のバリ活、天下一さん!
○○さんは、この天下一さんだけは苦手みたい。だって天下一さん、何かっていうと選挙だとか新聞だとかセミナーの誘いとか、折伏してくるんだもん!m9(^Д^)
困ってたみんなのために、天下一さんが○○さんを誘ってみることに。

天「○○さん、この後××くんと飲みに行くんですけど、一緒にどうですか?」

○「いや、そんな突然にさそわれてもねぇ…」

天「わっかりました!じゃあ、また今度お願いします~」


・・・2日後、天下一さんはまた○○さんに声をかけた。

天「あれ、○○さん。昨日Aさんと飲みに行ったんですって?ずいぶんと急だったみたいじゃないですか。」

○「いやあ、昨日はちょっと帰りがおそくなったからね。たまたま一緒に残ってたAくんと一緒に食事に行っただけだよ。」

天「あ、そうか!じゃあ今度は私も○○さんと一緒に、残業しますから。そのときは終わったら、一緒に飲みに行きましょうね!」

○「う、うん。わかったよ…」

・・・この会話をして以降、○○さんの残業は著しく、というか定時で退社するようになりったそうです。

天「○○さん、いつだったら一緒に飲みに行けるんですか~?」

○「そんなの、わからないよ!今日は駄目だからね。じゃあ、お先に!」

それ以来、○○さんは周囲の飲みの話に聞き耳を立てなくなったようです。
もし○○さんが入ってこようとするものなら、「今日は天下一さんも一緒なんですよ!」というだけでおk( ^ω^)
○○さんの部署内の定時後は、完全に保護されましたとさ。



しつこい上司や先輩の強引な誘いにお困りでしたら、お近くのバリ活にご相談ください。


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白い陽光 

「もう思い残すことはない。」
変わらない毎日を過ごす中、隼人はそう思うようになった。
隼人には家族はいない。両親、兄妹とは、もう10年以上も会っていない。誰からも何も連絡がないことから、きっとみんな元気だろうと、隼人は勝手に想像している。

隼人が会社に行かなくなって2週間がたつ。しかし、社の誰からも連絡がない。当然、隼人からも連絡をしていない。
隼人が会社に行かなくなったのは、特にきっかけらしい出来事があったわけではない。人間関係が崩れたようなこともない。人間関係?隼人にとって、そんなものが欠片ほどでも構築されていたのかは疑問だ。
もう自分の席はないのだろう、隼人はそう思っていたが、一方では、今日ひょっこり自分が出社すれば、何事もなかったように社内に溶け込めるかもしれない。でも今の隼人に会社に行くという考えははなかった。
仕事に少しでも生きがいを見出せていたなら、朝になればいつものように出社していただろう。
だが隼人に、仕事に対して生きがいなんて見出せない。何も指示がないのだから。
「なぜこうなってしまったのだろう。」
10年前の隼人は、この状況を人並みに悩んでいた。だが、そのことを悩まなくなったのがいつからだったか、隼人は思い出せない。
ある日隼人は、自分のきれいなデスクの上に唯一置いてある卓上カレンダーに"☆"のマークを書き込んだ。何のイベントのない木曜日である。
そして隼人は、その"☆"の木曜日から、出社することをやめた。

あれから2週間たった朝、何もない家に一人いる隼人は、携帯電話をのぞいてみた。隼人の予想どおり、今朝も何のサインも出ていない。時刻は朝の9時半。2週間、この行為は儀式のごとく毎日行われている。
携帯電話をベッドに放り出した隼人は、洗面所に向かった。
「俺は」
隼人は、鏡に向かってそうつぶやいた。
顔を洗い終わり、タオルで顔を拭きながら、再び鏡を見る。すると鏡には、白くなった自分の顔が写っている。いや、おそらくさっき見たときと同じ顔色である。
自分の貌色の白さを、隼人はこのとき初めて自覚した。

「まぶしい。」ベランダの窓からベッドルームに差し込む陽光を見て隼人は思った。
太陽はかなり高くまで昇っている。さらにこの日は快晴だった。
「白いなあ。」
隼人はそうつぶやいたのか、思ったのか。
目がくらむほどにまぶしい陽光を手で遮ることもなく、見据えている。
「白いなあ。」
今度は、隼人自身がつぶやいたことを自覚した。ベランダに通ずる窓、陽光に向かって隼人は歩き出した。
隼人は窓を開けようとサッシに手を差し伸べたが、サッシに触れた感覚がない。
「そんな」
いつものように開ける窓のサッシに、いつものように手を伸ばしたのはずなのに。
サッシにかかっているはずの手の方を見て、隼人は驚いた。
「俺は」
隼人の目に入ったのは、差し伸べた手の先にあるサッシだけだった。あるべきはずの手が見えない。
驚いた隼人は、両手を持ち上げてみたが、持ち上げたはずの両手が透けている。
隼人は何かを悟ったように上を見上げ、太陽に向かって両手を挙げた。窓は閉まっているから、隼人の両手の先にはガラスがあるはずだが、ガラスにぶつかる感じはなかった。
そのとき、携帯電話の着信音が鳴り出した。
着信に気付いたが隼人は、電話のあるベッドに振り向こうとした。同時に、両手が太陽に吸い込まれるように上に向かってひっぱりあげられる感覚と、ふわっと宙に浮かんだような感覚をおぼえた。それが隼人に残った最後の記憶だった。

誰もいなくなった部屋で、携帯電話の音がやんだ。

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地に堕ちた元バリ活 

夜10時、PHSにメールが届いた。
最近、電話以外はスマホでこなすことが多かったので、PHSに着信があること自体が珍しい。
一時期PHSへの英語の迷惑メールが頻発していたが、最近はそれすらなかった。今回のメールの着信で、例の英語メールのことを思い出したくらいだ。
着信は母からだった。
母からメールが来ることは何度かはある。直近では、昨年末に羽毛布団を送ったという旨のメール。それ以来である。
私が家を出たのは家庭不和に嫌気がさしたからであり、一緒に住んでいた当初から家族とコミュニケーションなんて基本的にとらなかった。こんな心情を誰にも打ち明けたわけではないが、母だってきっと感じ取っているだろう。
そんな間柄にあってわざわざメールするということは、よほど何か伝えたいことがあるのだろう。

母はスーパーに働きに出ているが、毎週木曜が休みなので、たあいもないメールがあるとすれば木曜の日中態だろう。そんなメールが母からあったことはないが、こちらからは「お雑煮を作ってみた」なんてメールをしたことがある。
普段から人を寄せ付けない雰囲気をかもしているから、特定の人以外は私にちょっかいだすなんてことはない。それは家族に対しも同じだった。そんな態度をしだして20年以上もたつと、周りには誰もいなくなっていた。

夜の10時にメール。これはただ事ではない。
文面の最初は、私の体調について気遣う内容だった。
次に私が、聖教新聞を購読していないことを聞いたという一文が。おそらく御徒町から北浦和の組織に電話がいったと思われる。
引っ越してから1年間の購読契約は、私が北浦和にいたときの組織から今の御徒町に投函するように啓蒙用紙(この呼び方しかわからない。まあ購読の依頼書)がまわってくる。この啓蒙用紙を誰が、どこの組織が書くというのは、バリ活にとっては非常に重要なのだ。
誰か組織の人間が引っ越すにあたり、その人に入れていたことによって稼げていた今までの購読推進力(1部月1ポイントとして換算)が、まるっとなくなってしまう。だから引っ越した人の"置き土産"として、引っ越してから1年分の12ポイントは、前の組織のポイントにできるのだ。

さて、私が御徒町に来てから丸一年が過ぎた。
2月いっぱいで"置き土産"の契約が切れてしまい、未活と成り果てた今の私に聖教新聞を購読する理由がない。
ほぼ手弁当(配達料は支給されるが)で配達してくれる人が、「小島ビル」という魔の巣に来ることなんてないんだよ。たかがポストまですら急な階段を上ることも、集金にくる婦人が薄気味悪い階段を上ることも、また集金に出てくる無愛想なキチガイにも会わずに済むんだから。
聖教新聞は原則集金である。様々な状況の購読者がいるわけで、その人と月に一回、集金の機会に顔を合わせることが大事なのだ。


まあそんな手前勝手な理由で新規契約は取り付けていないのだが、これは学会員として相当やばい。


創価学会に入会するにあたっては、「入会のしおり」というものを渡され、そこで学会員としての3大事項の励行を促される。


  一、朝晩の勤行唱題

  一、聖教新聞の購読

  一、会合への参加



今の私には、かろうじて一番目だけが残っている。


何がショックかって、親にこの危機的状況が露呈され、しかも当事者の私に事実確認しようとしている。
先の母のメールになんて返そうか、本当に悩んだ。開き直るのは得意だが、さすがに相手がまずい。かといって、母に連絡した組織の人と話するとウソをつくのも虚しい。
結局母には返信はしていない。もはや親に会わせる顔が、実の上でなくなった。



私は何から何まで、親不孝である。
37歳にもなって、彼女ひとり紹介したことがない。先週吉原に行ったが、どうも機能不全が露骨になってきた。今後万が一そういう相手が現れても、おそらく私は【できない】のではないか。これからは衰える一方だ。

私はこの「天下一舞踏会 決勝戦」という無価値な世界にしがみついて一人、死ねない夜を彷徨い続けるだろう。


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「小島ビル」の怪 

今の住居を紹介されるにあたり、物件名を「小島ビル」として紹介された。
初めて部屋を見せてもらったとき、建物に着いたところ「小島ビル」の名称をうたうものが何もないことに気付いた(゜Д゜)
この時点で、ほとんどの人がやばさを感じて、ここは選ばないだろう。
だが私にとってやばいとは思ったが、住所が素晴らしすぎるのと、部屋を見たら意外ときれいなことにビル名称のことなど気にならなかった。

家電をヨドバシで買った際に、インターネットを引くと2万ポイントの商品券をもらえるとのことで、電機の大型量販店得意の"強制キャンペーン"によって、ネット開設をすることに。
住所を提示して、このときはもちろん「小島ビル」の名前を入れて、この建物はいずれかのプロバイダが開設されているか調べると言い出した。
店員が戻ってきて、「お客様の住所が、見当たらないですが」と、衝撃の投げかけをされた!?w(゜o゜)w
今思うと、きっと「小島ビル」という名称が邪魔をしていたと思う。
あとで地域のバリ活に話をきいたところ、私の住んでいる建物はかつてHビルという別の名称だったという。
「小島ビル」という名称には、全くぴんときてなかった。

「小島ビル」なんて、この辺では門前にちゃんと書いている建物でもかなりの数になる。「小島ビル」でググったときには、近所の別の小島ビルがヒットする始末である。
もともとこの地域は「小島町」という名前だったらしい。
Hビルのオーナーが何らかの理由でこの建物を手放し、建物を手に入れた今の不動産屋が適当に名前を付けたとしか思えない。
今では住所記入の際には「小島ビル」を除いて、階数だけを書いている。


ビルの名称や下の池沼だけでなく、他にも"ありえない設定"がまだあるのだ。
この物件を私以外の人が選んでしまい、不快な思いにさいなまれることがなくて、本当に良かったと思う。
私がこの住居を「埋めた」ことは、非常に有意義だと世の中に対して胸を張れるステータスだ。